2005.12.05

乳がんにかかって・・・

 唐突ですが・・この一ケ月半ほどの間、乳がんの治療に専念していました。以前から経過観察してもらっていた右乳房のしこりを摘出して調べた結果がんであるとの診断、希望する治療を受ける為転院し、他臓器などへの転移の有無を調べる検査を受けた上で入院・手術・・・現在退院後4日目です。
 告知の瞬間頭の中がマッシロに・・などと言う亊は無かった。とにかく、こりゃ一大事とばかり本やネットで情報収集を始めました。しこりの大きさから言って乳房温存手術になるのは確実でしたが、最初に転移する可能性が高い腋の下のリンパ節も摘出して調べるのが標準的な手術方法で、その場合、腕へのリンパの流れが滞る為、腕がひどくむくんだり上がらなくなったりするなどの後遺症が出るかも知れない、というのが非常に引っ掛かりました。病気そのものでなく、治療の後遺症で身体に障害が出るなんて・・・。
 が、さらに調べると、近年普及し始めたと言う「センチネルリンパ節生検法」なら、後遺症の出る可能性はほとんど無いとか・・。理屈はこうです。がんのしこり周辺からのリンパの流れが最初に流れ着くリンパ節(センチネルリンパ節)を、色素やアイソトープなどを使って特定し、それだけを取り出して調べ転移が無ければ、他への転移も無いと見なす亊ができる・・・これだと従来の手術のように腋の下のリンパ節を脂肪組織ごとごっそり(10個以上)取らずに済むので、身体へのダメージも少ないと言うわけ。
 日本ではまだ実施されるようになって日が浅く、生存率などの十分なデータが集まってはいないそうですが、アメリカではすでに標準的な治療法になっているとの亊、試してみる価値はあると思いました。「センチネルリンパ節生検法」を実施している病院への紹介状をお願いしたところ、主治医の先生は快く了承して下さった・・・お陰でスムースに転院して従来より負担の少ない手術を受ける事ができ、手術の2日後には退院、すぐに仕事にも復帰して普通の日常生活を送っています。
 来週には手術の詳しい結果が出るので、それを踏まえて今後の治療方針が決まります。温存した乳房内の微少ながん細胞を叩く為の放射線療法、がん細胞の増殖に関係が深い女性ホルモンの働きを抑えるホルモン療法・・・いずれも副作用が無いとは言えないですが、幸い手術法のお陰で外科的なダメージは最小限で済んだし、何とか乗り越えてゆけるのではないかと。
 今回の経験で感じた様々な亊は、今後折に触れてこのブログに綴っていこうと思います。

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2005.10.20

軽AT車でブイブイ!

 新型ミラジーノを買って早5ケ月・・・このところジーノくん大活躍です。
私自身の胸のしこりの検査&摘出手術、父の入院、とクルマで1時間ちょっとの帯広の某病院へ何度も通う日々が続いたのですが、行き帰りのアシはもちろん我がジーノ。意外と走るんですよコイツが。
途中一ケ所、登り坂車線付きの長い坂道があるのですが、「3」にシフトダウンしてちょっとアクセルを踏み込めば、失速することなくグイグイ登ってくれる。ノロ過ぎるクルマを追い越す時も、あらかじめシフトダウンすれば力強く加速! 非力な軽のATだから・・・と割り切っていたのがウソのよう。もちろん、普通車のATなら「なぁんにも考えず『D』レンジ」でも大抵の場合は用が足りるのでしょうが、「よし、坂登るぞ〜」「追い越すぞ〜」と気合いを入れて(ちょっとオーバー!?)シフトレバーに手をやるのも、「自分がクルマを操っている」っぽくて何だかイイ気分にひたれます(超自己満モード^^;)。
 軽自動車は坂道がかったるいとか加速がイマイチとか、よくそんな批評を耳にしますが、ギアチェンジを活用すればそれなりに走れるって事、何でもっと宣伝してくれないんでしょう。普通車やターボ付きの軽じゃなくても全然オッケーじゃないですか。「走り」自体が目的の場合は別でしょうが、少なくとも日々の生活の道具としては、必要十分な性能を備えていると思います。ATだから細かい事は全部クルマにお任せ、というのも一つの考え方ではありますが、ちょっと初心者向け運転術の本など読めば、よりキビキビと楽しく走れる道が拓けるのに・・・とにかく「なぁんにも考えず『D』レンジ」では、かったるくてアタリマエです軽自動車の場合。
 必要な時にはシフトダウンして高回転まで回すようになったせいか、エンジン音はかえって静かになったような気がします(アタリが少なくなったって事?)。父のジープ・チェロキーなどは加速のたびに「グワァァァ〜」ともの凄いエンジン音で、そりゃパワーはあるんでしょうが「いちいち大げさなんだよアンタは」とツッコミを入れたくなる(^^;)。ジーノくんはおっとり粛々且つ一生懸命走ってくれます。もともと高速安定性は高いし乗り心地はいいし、グッドデザイン賞も取ったし本とにいいクルマだ! 確かにBMWミニには似てるけど(^^;)。

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2005.10.07

友の死

 一ケ月近く間があいてしまった・・・こんなのブログじゃないっすね(^^;)。

 先週月曜、元同僚だった友人が亡くなりました。彼女はまだ34才、ご主人と7才・3才のお子さんを残しての無念の死でした。
半年余り前、彼女が体調を崩して入院した当初、周りの話やお見舞いに行った際本人から聞いた話を元に調べたところ、かなり深刻な状態である事がわかり愕然としました。何とか力になりたいと思ったけれど、時々メールで励ましたりするぐらいが関の山で、私にできる事など何も無い。頑張り屋の彼女は入退院を繰り返しながら、お子さんの卒園式や入学式など全ての行事をこなし、お盆明けには手術を受けたのですが、その後体調が戻らず、薬の副作用で抵抗力が落ちているところに肺炎を起こしてしまい帰らぬ人となりました。
 その日彼女が危篤状態とは知らず、たまたまお見舞いに行った私は、亡くなった直後の彼女と対面する事になってしまった。40数年も生きていると「偶然〜だった」なんて事は多々ありますが、こんなのは願い下げです。悪い事など何もしていない人が、何故こんなにも苦しんで、小さなお子さんたちを残して死なねばならないのか。頬に触れるとまだ温かいのに微動だにしない。半ば開いたままの目は、もう何も見ていない・・・。

 初七日も過ぎそろそろ気持ちに区切りをつけなければいけない頃ですが、返す返すも残念なのは、身体に異変を感じた時、何故いち早く病院に行かなかったのかという事です。子供たちの入園・入学の準備や仕事が忙しく、自分の事はついつい後回しになってしまったと言っていた彼女。子育て期のお母さんというのはそんなにも忙しく、身を削るようにしてキリキリ舞いしているものなのか・・・お気楽な独身の私は頭を垂れるしかありません。でも、子供たちの為に頑張れるのも健康であってこそ。子育て中ならなおさら、自分の身体を大切にして欲しいし、何かあった折りには人に頼る事を恥じないで欲しい。自分だけで頑張って頑張って、結局幼い子供たちを残して逝ってしまうなんて切な過ぎます。
 病名自体の告知はされていたという彼女は、もしかしたら先の望みが薄いのも悟っていたのかも知れない。苦しい治療に耐えながら子供たちの行事には欠かさず出続けた・・・幼すぎる子供たちに、写真やビデオの中の面影だけでも遺しておきたいと思っていたのかも知れません。それが彼女の最後の望みなら、一友人に過ぎない私にも、してあげられる事がありそうです・・・・子供たちが大きくなって、お母さんの事を尋ねたら、彼女がどんな人だったか語ってあげる事・・・ホンワカして優しくて、いつも微笑んでいる人だったよ、と。

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2005.09.12

アルベルト・シュペーア(11)

 「お抱え建築家」から軍需相に大抜擢され、畑違いの分野で目覚ましい成果を挙げたシュペーア。当然、ヒトラーの彼に対する信任は増してゆくわけですが、シュペーア自身は一建築家としてヒトラーと親密かつ対等に話ができた頃に比べ、上司と部下としての立場をより意識せざるを得なくなった事を嘆く気持ちを繰り返し吐露しています。しかしそれにも増して、大学で専門教育を受けたインテリである彼から見ると、軍事の専門家でも何でもないヒトラーが作戦上の細かい事や兵器製造の優先順位にまで口を出すのが不思議でならなかったようです。「彼は決して一つの職業を修得した事もなかったし、結局何をやってもアウトサイダーにとどまっていた」とシュペーアは回想録の中でヒトラーの特殊性を分析しています。既成の考え方にとらわれないヒトラーの発想や決断力が緒戦の成功をもたらしたものの「反撃されると彼は、未熟練者の多くがそうであるようにたちまち行き詰まってしまった」。非凡な個性の持ち主ではあったが、所詮はオタクでニート、突飛な発想は得意だが応用力や柔軟性に欠ける・・といったところでしょうか。シュペーアにいわせれば「本当の専門家というものは、本を参照すれば済むようなこと、また部下にやらせれば済むような細目まで自分の頭に負担をかけたりしないものである」のですが、ヒトラーは兵器に関する各種データや在庫量、生産高などの数字を正確に記憶しており、軍事会議の席上で将校たちが不確かな数字をあげるとすかさず指摘したりして、相手を畏縮させ自分の意見を通すといった事がたびたびあったようです。シュペーアはそのような事態を避けるため、会議の際にはその時々のテーマに通じた専門家を出席させ、長年の職業的実践に基づいた彼らの発言でヒトラーを納得させるという「作戦」をとっていた・・・さすがのヒトラーも、そうした専門家に対しては丁重な態度で接し、長々と退屈な演説をして相手をウンザリさせ反対意見を圧殺するという彼特有の戦術(^^;)を用いる事もなかったそうです。
 長年の付き合いでヒトラーの性格を熟知していたシュペーアは、そのようにしてヒトラーの不適切な指示を修正し、より望ましい提案を受け入れさせて成果を挙げたわけですが、結局のところヒトラーの軍事的分野での知識や興味は(彼が一兵卒として従軍した)第一次大戦当時のレベルに留まっており、その「古さ」が勝敗を分ける一因ともなったのでしょう。彼がもし当時最新の技術に積極的興味を示し、ユダヤ的物理学だからなどとわけのわからない理由で躊躇していなければ、最初の原爆はドイツの手によって、ヒロシマでなくイギリスのロンドンあたりに落とされる事になったのかも知れません。

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2005.09.04

カトリーナの爪あと

 アメリカ南部を襲ったハリケーン「カトリーナ」・・・物的被害の甚大さもさることながら、被災者の悲惨な実態にも胸を塞がれる思いです。特にルイジアナ州ニューオーリンズでは、被災者のほとんどが黒人貧困層っていうのが・・。公民権運動から何十年も経ち、日本などよりはずっとマイノリティーの人権に敏感なはずのあの国で、それでもまだ取りこぼされてしまった人たちがいるんですね。
 町を囲む堤防の決壊の可能性は、何年も前から問題にされていた。もし町の住民の多くが黒人貧困層でなかったら、もっと早く対策が取られていたのではないか、という疑問を誰もが持ってしまうでしょう。あるいは、貧困層がほとんど=税収が少ない=災害対策にまでお金が回らない、といった図式でもあったんでしょうか。
 いずれにしろ、月初めの生活保護の支給に頼るしかない人々、避難しようにもクルマも持たず、十分な情報も得られない人々が取り残された。そうした人々がいる事はわかっていたはずで、しかもハリケーンは地震のような「予知不可能な災害」ではない。はるかな外国に自国の軍隊を送り込んでドンパチやれるほどの「超大国」なら、避難の為のバスを差し向けるなど、事前にできる事はあったはず。要するに、ハナからそんな事する気はなかったんだろう、と言われても仕方ないですね。
 人権という観点から見れば、日本も決して誉められた国ではないのでしょうが、世界で最も豊かなはずの先進国アメリカに、あれほど露骨に見捨てられた人々が存在するというのは実に情けないというか、「人ンちまでノコノコ出かけていってお節介焼く前にする事があるだろ!」と言ってしまいたくもなります。這い上がるべく努力しようにも十分な教育の機会さえ無く、親の代から、生活保護に頼る以外の選択肢を持たない人々。個人の努力が足りないなどという問題ではなく、努力するきっかけさえ与えられないまま放置されている人々が存在するという事を、アメリカは恥じるべきでしょう。
 もしイラクにニューオーリンズから出征した兵士がいたら(確実にいるでしょうが)、故郷の惨状を知ってどう思うだろうか。少なくとも「アメリカのために」闘う気など無くしてしまうでしょうね。

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